サイトウさんです。
まずは、下記の絵をご覧下さい。
これは、雨漏りをイメージした絵です。
これを見ながらイメージして頂きたいのですが、
この状態を根本的に改善しようと考えたときに、あなたならどこからどう直しますか?
一般的には穴が開いた屋根を修理すると思います。
中には、雨雲ロケットか何かで吹き飛ばすなどといったファンタスティックな考えの方もいらっしゃるかもしれませんがそれは一先ず置いておきます。
よくありがちなのが、屋根に空いている穴に気づかず、濡れた床を拭き続けるといった行為です。
これでは、雨が降る度に雨漏りしてしまうのは言うまでもありません。
上記を臨床場面に置き換えて考えてみます。
①漏れた水を吹き続ける → 痛みや筋力低下などといった症状に対してのみ介入する
②屋根に空いた穴を見つけ出し、塞ぐ → 対象者の根本的な問題点を評価し、治療介入する
③雨雲をロケットで吹き飛ばす → 運に頼る
いかがでしょうか?
③はスピリチュアルな要素が強すぎるため割愛しますが、①と②の違いはご理解頂けましたでしょうか?
実は、上記の考え方はいかなる場面においても応用することができます。
歩行に対するアプローチを例に挙げてみましょう。
例)右下肢の立脚中期にトレンデレンブルグ徴候が出現するケース
①トレンデレンブルグ徴候=中殿筋の筋力低下なので、中殿筋の筋力増強運動を実施する
②MMTで股関節外転筋力5であったが、足部の関節可動域制限により支持基底面内における荷重位置変位が生じ骨盤傾斜に変化が生じた
いかがでしょうか?
どちらが正しいかの問題ではなく、どういった思考で物事を考えているかをイメージして頂けましたでしょうか?
教科書に答えは載っていません。ヒントが散りばめられているに過ぎません。それを繋いでいく作業が必要です。
セミナーであるテクニックを学んだので早速実践してみる。これは、一見当たりまえで有意義なものであることは間違いありませんが、忘れてはいけないことがあります。
それは、そのテクニックを適応させようと評価した過程です。
過程、すなわちプロセスなき治療介入は、ただの自己満足です。
それで仮に改善したとしても、治療者には偏った経験値が積み上がるだけです。
「腰痛にはあのテクニックを使えばいい。」
「肩関節周囲炎の場合はあの運動を指導すればいい。」
このような考え方に陥ってしまいます。
「改善しない場合には、違うテクニックが必要だ。」
このような偏った思考からは逃れられないでしょう。
これは症状にテクニックを当てはめているだけに過ぎません。
私たちが日々向き合うのは症状ではありません。様々な症状を持った“人”です。
症状は結果にすぎません。症状に囚われ、症状を追いかけ続けてはいけません。
「局所」に症状が現れる場合、必ずそれを引き起こしている「全体性」の変化が生じています。
「局所」と「全体性」は相互に補完しあうことで何とかその人の中で秩序を保っています。
(※相互の補完については当ブログ内でいずれお話させて頂きますので今回は詳細には触れません)
抽象的な話が続きましたが、まとめますと「局所」を評価するためには「全体性」を考慮しないといけないし、「全体性」を評価する場合においても「局所」を考慮しないといけないということとなります。
まとめますと、「この勉強だけやっとけばオッケー」みたいな万能なものはないということです。
抽象的な言い回しで申し訳ございません。
今後はブログ内でも、上記の考えに則り、臨床場面に即した内容をお伝えさせて頂きますのでよろしければご覧ください。
それでは今日はこの辺で失礼致します。最後までお読みいただきありがとうございました。
ではまた!!